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能美の西山古墳群 砦跡発見 織田の陣城か
中日新聞
中世墓、弥生の遺構も
複合遺跡裏付け
能美市の国指定史跡・秋常山古墳群東側に広がる西山古墳群の一部で、弥生時代の遺構や鎌倉時代の中世墓、戦国時代の砦(とりで)跡などが見つかった。本年度から実施した詳細分布調査で明らかになった。いくつかの時代にまたがる複合遺跡であることを裏付ける貴重な史料になる。 (田嶋豊)
十五日に現地説明会があり、学芸員らが考古学愛好家らに調査経過を中間報告した。
砦跡などが見つかったのは、西山古墳群の南尾根の一角。この一角には昭和三十年代から四十年代の踏査で二つの古墳があるとされていたが、今回の調査で古墳ではなく山城の一部であることが分かった。
市学芸員によると、山城は曲輪(くるわ)や高さ一・五メートル前後の土塁、切岸などを備えている。小規模で簡易的なつくりであることから、短期決戦を目的とした臨時的な砦だったとみている。
戦国時代末期に加賀国へ進出し、上杉謙信と手取川で対峙(たいじ)した時に築かれた織田軍の陣城、もしくは近くの和田山城に築城した一向一揆軍を攻めるのに築いた織田軍の陣城だった可能性があるという。
同所からは弥生時代終末期の土壙(どこう)墓や柱穴と思われる遺構なども見つかった。土塁をつくるために使われた盛土から素焼きの陶器が大量に出土。珠洲焼片や河原石もあり、鎌倉時代を中心とした中世墓とみている。
西山古墳群は徳久、高座、秋常の三町内にまたがる丘陵上に分布する古墳群。二〇〇九年度まで部分的な発掘調査を含め、規模の確認や歴史などを明らかにしていく。
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20071216/CK2007121602072651.html
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