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信長の茶室か、礎石発掘 岐阜公園の居館跡、蔵の可能性も
中日新聞
地中から発掘された、茶室か蔵の跡とみられる礎石=10日、岐阜市の岐阜公園で
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岐阜市の岐阜公園で戦国武将、織田信長の居館跡の発掘調査を実施している同市教育委員会は10日、建物の柱を立てるための礎石を発掘したと発表した。茶室か蔵があったとみられ、居館跡の特定につながる可能性もあるとしている。
現地は金華山西側のふもと標高40メートルの斜面。11月上旬に地中1メートルに埋められた長さ25センチの石を発見した。石は角がない河原石で、表面が平らなことから、柱を立てた礎石だと判断した。
戦国時代に居館を訪れたポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスは、居館の上の斜面に茶室があったとの記述を残した。礎石が見つかった場所は居館があったと考えられる区域の上の斜面に当たり、礎石は茶室跡の可能性がある。同時に居館跡を特定する手掛かりとしても注目される。
礎石の上からは焼けた土の層(厚さ60センチ)を発掘。赤く焼けた壁土が大量に交ざり、蔵があったとの見方も浮上した。蔵だとすれば、周辺から貴重な宝物が見つかる可能性もあるといい、今後、建物の特定に向け調査を続ける。
22日午後1時からは現地説明会を開く。これまでに城下町にあった大通り「大道」や、庭園とみられる遺跡を発掘した。
織田信長や豊臣秀吉時代の城などの建築物に詳しい織豊期城郭研究会(大津市)の中井均代表は「大きな建物と比べると、今回見つかった礎石は小さい。まずは茶室か、休憩所である東屋(あずまや)が考えられる。ただ、茶室や東屋は土壁を必要としないので、茶室と蔵の両方があったのかもしれない」と推論した。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007121102071133.html
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