旧本能寺跡に「真言」卒塔婆 信長自害の法華宗寺院 [織田信長]
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旧本能寺跡に「真言」卒塔婆
信長自害の法華宗寺院
京都新聞
京都市中京区の旧本能寺跡で昨年夏に行われた発掘調査で出土した卒塔婆(そとば)に、密教で使われる呪文(じゅもん)「真言」が記されていることが6日までに分かった。織田信長が明智光秀に攻められ自害した「本能寺の変」(1582年)直後に、焼け落ちた法華宗の本能寺跡で真言宗の僧が死者を供養した可能性があり、戦いの激しさや当時の人々の思いを示す貴重な遺物になりそうだ。
発掘は昨年7-8月、関西文化財調査会(吉川義彦代表)が行い、変に伴うとみられる焼け瓦やL字形の堀跡、石垣が見つかった。
卒塔婆は南側の堀から見つかった15本のうちの1本。長さ約40センチで五輪塔の形をしていた。赤外線撮影や文字を浮き立たせる処理を行い解読を進めたところ、「…遮那摩訶母那羅摩尼(シャノウマカボダラマニ)□□摩(マ)…」という光明真言が浮かび上がった。裏面には「三界萬霊十方」「眷属(けんぞく)」の文字が見え、不特定多数の死者や一族を弔ったらしい。
吉川代表は、「日光にさらされ木がやせることによって起こる『浮き字』がなく、どこかの墓にあったものが紛れ込んだ可能性は低い。また堀の底から15センチほど上層の泥から見つかっており、本能寺の変の時期に近い」としている。
葬送儀礼に詳しい勝田至・京都光華女子大非常勤講師(日本中世史)によると、法華寺院に他の宗派の僧が立ち入り、死者を供養することは通常考えられず、本能寺の変で寺が焼け落ちた状況以外は考えにくいという。
勝田講師は「光明真言は天台宗でも使われるが、比叡山焼き打ちを行った信長軍を天台宗が供養することはないだろう」とした上で「信長を弔ったにしてはサイズが小さく、真言宗の僧が個人的に、敵味方を問わず供養したのかもしれない」と話している。
光明真言 「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」と唱える。死者を弔う呪文で、一切の罪業を除くという。
【卒塔婆に記された文字】
(表)□遮那摩訶母那羅摩尼(シャノウマカボダラマニ)□□摩(マ) □□羅波(ラハ)…
□ □□罪三波羅三波…
(裏)…□三界萬霊十方□ 眷属須□
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