2007年11月30日

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宝塚ファン悲鳴!? 元カリスマ男役トップスターが、色っぽい姫君に大変身!
シネマトゥデイ映画ニュース

2006年に宝塚を引退した元男役トップスターの和央ようかが、最新作『茶々 -天涯の貴妃(おんな)-』で、“淀君”こと“茶々”姫を熱演。「ベルサイユのばら2001」でフェルゼンを演じていた彼女の、戦国時代の姫役への大変身が、宝塚ファンの熱い注目を集めている。

 和央は、2000年から6年の間、宝塚歌劇団宙組のトップスターとして活躍したカリスマである。退団当日には、劇場周辺に何と約1万人ものファンが詰めかけ、その熱狂ぶりは、マスコミでも大きな話題を呼んだほどだった。そんな伝説的な男役の和央が、初の映画出演で演じるのは、戦国の世を生き抜いた豊臣秀吉の側室 “茶々”(後の淀君)。

 本作で、銀幕デビューを華々しく飾る和央が演じる“茶々”は、織田信長の血を受け継ぎ、秀吉に愛され、徳川家康に恐れられるという、女であることを武器に激動の戦国時代を生き抜いた女性だ。身長174センチの女優が、姫君を演じるのは異例だが、“茶々”の戦国時代でも自立した生き方は、ある女性誌の“わたしを生きている女性”にも選ばれたほど、己を強く持っている和央の人生とシンクロする。

 宝塚の歴代トップスターの中でも、伝説的な存在になっている彼女が、どんな“茶々”を演じるのか。12月の公開が待ち遠しい!

http://cinematoday.jp/page/N0012118

『茶々 -天涯の貴妃(おんな)-』は、12月22日より全国にて公開
オフィシャルサイト http://chacha-movie.jp/

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「戦国の館」苦戦“おわび” 掛川市長
静岡新聞

 掛川市の戸塚進也市長は29日の市議会行政報告の中で、掛川城天守閣近くにある観光施設「戦国の館掛川」が入館目標の半分にも達しない現状について「誠に申し訳なく深くおわび申し上げたい」と陳謝した。戸塚市長が掲げた目標は15万人だったが、25日現在、5万9300人にとどまっている。開館は12月24日まで。
 昨年、全国から30万7000人の入館者を集めた「千代と一豊館」の後継として開館した「戦国の館」だったが、入館者は伸び悩んだ。ただ、戸塚市長は「ことしの入館者は個人客が多く、商店街や城天守閣の入館増には効果があった」とも述べた。
 市は総務省から「頑張る地方応援プログラム」事業の認可により、本年度から3年間、単年度1500万円の交付税措置を受ける。戦国の館の後継は現在、市や商工、観光関係者で案を練っていて、来年1月に公表する予定。城との相乗効果が期待されるだけに、どんな“戦略”になるか注目を集めそうだ。
http://www.shizushin.com/local_west/20071130000000000038.htm

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2007年11月28日

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松岡昌宏が信玄の次は謙信で時代劇初主演
日刊スポーツ

2年前に武田信玄を演じたTOKIO松岡昌宏(30)が、今度はその好敵手だった上杉謙信を演じる。テレビ朝日の開局50周年記念新春ドラマスペシャル「天と地と」(来年1月上旬放送)が制作され、松岡が主演を務めることが27日、分かった。松岡にとって時代劇ドラマの初主演作となる。

 原作は作家海音寺潮五郎氏の同名小説。上杉謙信の生涯を描いた作品で、これまでNHK大河ドラマや角川春樹氏が製作総指揮・監督を務めて映画化もされた人気小説だ。今回のドラマでは、戦国武将の中でもミステリアスな部分が多い謙信の人物像に深く迫る。

 大胆なキャスティングも話題となりそうだ。松岡は06年、同局の新春ドラマスペシャル「風林火山」で若き日の信玄を演じた。謙信役の徳重聡を相手に、有名な川中島の戦いのシーンで見せた堂々たる演技が印象的だった。今回、謙信役で依頼を受けた時には「どうしても(信玄の)イメージが残っているのではないかと思い、正直驚きました」と戸惑ったが「両方演じられるなんて、役者としてなかなかないこと」と切り替えて出演を決めた。

 人気バンドTOKIOのメンバーの印象も強いが、俳優として時代劇の経験は豊富だ。これまで大石内蔵助の息子大石主税、足利義尚、森蘭丸、佐々木小次郎、織田信長といった人物を演じている。今回は7度目となる時代劇で初めて主演を務める。「あまり意識はしていませんが、時代劇における松岡を認めていただいたのかなという気がしてとてもうれしく思っています」と意気に感じながら取り組むつもりだ。
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071128-288637.html

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“和央ようか茶々”が12・3大阪城に凱旋
デイリースポーツonline

豊臣秀吉の側室でのちに淀君となる女性、茶々の生涯を描いた時代劇映画「茶々-天涯の貴妃-」(12月22日公開)のプレミアイベントが、大阪城で12月3日に開かれることが27日、分かった。

 大阪城は茶々にとって、天下を獲った秀吉とともに栄華を極め、1615年、徳川家康軍に攻められ、息子・秀頼とともに自害した因縁の場所。その地に392年ぶりに茶々がよみがえることになる。

 当日は150メートルのレッドカーペットを敷き、主演の和央ようか(37)が豪華絢爛(けんらん)な打ち掛け姿で登場。50人の甲冑(かっちゅう)武者ら豊臣の軍勢と練り歩き、戦国絵巻を再現。さらに主題歌を担当するSowelu(25)がライブで主題歌「光」を初披露する。

 イベント総額は3000万円。配給の東映は「大阪城での映画イベントで最大規模」としている。
http://www.daily.co.jp/gossip/2007/11/27/0000752702.shtml

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2007年11月27日

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“FRONTIER”シリーズのゲーミングPCに『信長の野望 Online』と『大航海時代 Online』モデルが登場!
●コーエーの人気オンラインゲーム推奨スペックモデルを追加!
 オリジナルPCブランド“FRONTIER”シリーズを展開するKOUZIROは、2007年11月27日よりコーエーの人気オンラインゲーム、『信長の野望 Online』と『大航海時代 Online』の推奨スペックモデルを販売開始した。価格は標準構成で10万9800円[税込]。

『FRCX-6550/86TX』シリーズは、CPUにインテルのCore 2 Duo プロセッサー E6550、グラフィックボードにNVIDIAのGeForce 8600GTを採用し、3DグラフィックのPCゲームタイトルが快適に動作する環境をお手頃価格で提供する。さらにメインメモリーを大容量の2GB搭載しており、オンラインゲームならではのゾーン移動時にもす速いデータ読込みが可能となっている。製品は『信長の野望 Online ~破天の章~』推奨スペックモデルの『FRCX-6550/86TX/NY』と、『大航海時代 Online ~Cruz del Sur~』推奨スペックモデルの『FRCX-6550/86TX/DJ』が用意され、それぞれに対応タイトルのクライアントソフトを収録したバンドル版DVD-ROMが付属する。また、各タイトルのバンドル版には、30日間プレイチケット(推奨PC特典スペシャルアップグレードつき)やゲーム内アイテム、オリジナル壁紙などが同梱される。

■製品概要
型番
FRCX-6550/86TX/NY、FRCX-6550/86TX/DJ
CPU
インテル Core 2 Duo プロセッサー E6550(2.33GHz/FSB1333MH)
メモリー
DDR2-SDRAM 2GB(PC-6400)
VGA
NVIDIA GeForce 8600GT
HDD
SATAII 160GB
光学ドライブ
DVDハイパーマルチドライブ
OS
Windows XP Home Edition SP2インストール済み
価格
10万9800円[税込](標準構成)

■購入特典
『信長の野望 Online ~破天の章~』推奨スペックPC購入特典
『信長の野望 Online ~破天の章~』バンドル版 DVD-ROM(ソフトパッケージ)
○30日間プレイチケット(推奨PC特典スペシャルアップグレードつき)
○ゲーム内オリジナルアイテム
・ 先駆の旗印:赤地に紅葉と“先駆”の文字を配した戦国時代風の旗。
・ 伊達者キセル:全職業が装備できる、キセルをかたどった巨大な武器。煙が出る。
・ 先駆の狩衣:全職業が装備できる、おしゃれな衣装。
○ オリジナル壁紙(1024×768ドット)2種
http://www.famitsu.com/pcent/news/1212144_1341.html

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2007年11月26日

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家康掛川城攻め「不入斗に陣」 袋井の民家に古文書
静岡新聞

 戦国時代の1569年、徳川家康が掛川城攻めのために本陣を置いた場所は、現在の掛川市の「入山瀬」説と、袋井市の「不入斗」説の2つの説がある。このほど、不入斗説の裏付けにつながる可能性が高い文言の入った古文書が袋井市国本の民家で見つかり、地元郷土史家の話題となっている。家康はどこから掛川城を攻めたのか。歴史ファンの注目も集めそうだ。
 今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれた後、嫡男の氏真は駿府から掛川城に逃れた。その後、家康は掛川城を攻めるが、その本陣の場所の記述は古い書物などによって2つの説がある。
 最近の「掛川市史」によれば、通説は入山瀬説だが、不入斗も昔は「いりやまず」や「いりやませ」と読まれたため、不入斗説が台頭している。
 そんな中で“新発見”となったのが、袋井市国本の無職足立徳之さん(63)宅から見つかった「北原川旧蹤」という古文書。文書の中から「徳川家康公今川を攻めるとき陣を不入斗村に取る」という文言が見つかった。
 足立さんの友人で、この文言を見つけた郷土史家の兼子春治さん(62)によると、この文書は江戸期に書かれたものを足立家の人が明治期に書き写したとみられる。文書の元が何だったかは不明だが、兼子さんは「本陣の論争に結論をつけたとも言える大きな発見」と主張する。
 この文言について静岡大学の小和田哲男教授は「『掛川市史』の執筆時から入山瀬よりも不入斗の方が位置的に陣場にふさわしいと考えていた。江戸期の伝承に文言があったというのは有力な証拠になると思う。家康の掛川城攻めの様子を知る上で注目される発見」と話している。
http://www.shizushin.com/local_social/20071126104724.htm

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2007年11月23日

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岩槻城の復元願う 築城550年を迎え市民の声高まる 市のシンボルにと市長に要望
埼玉新聞

戦国時代に築城され、室町幕府の東国支配の拠点とされた岩槻城。現在、さいたま市岩槻区内に面影を残すものはごくわずかだが、築城五百五十年を迎えた今年に入って復元を願う声が高まっている。六月には、区内の商工団体や自治会などが賛同し「岩槻城復元推進協議会」(遠藤正義会長)を設立。十月にはさいたま市長あてに復元を求める要望書を、約二万六千七百人の署名を添えて提出するなど、市民レベルでの盛り上がりを見せている。

◆太田道真・道潅父子が築城
 岩槻城は一四五七(長禄元)年、太田道真・道潅父子により築城された平城。当時、古河公方勢力に対抗していた上杉勢が、江戸城、川越城とともにほぼ同時期に築いた。

 後北条氏の支配の後、小田原城の支城となった岩槻城は、一五八九(天正十七)年の豊臣秀吉による小田原攻めにより翌年陥落。後の徳川家康の所領になる。当時は水堀に囲まれ、約九十二万平方メートルの広さだったと言われている。明治政府による廃藩後の一八七二(明治五)年、入札により民間に払い下げられ宅地化が進んだ。

 岩槻城は現在の市街地の東側に築かれ、元荒川の半島状に突き出た台地に本丸、二の丸、三の丸などがあった。北側に新正寺曲輪(しんしょうじくるわ)、南側に新曲輪(しんぐるわ)があり、西側に武家屋敷や城下町が広がっていたという。

 石垣は造られず、土を盛り上げて土塁を造る関東では一般的な城郭で、現在は南端の新曲輪、鍛冶曲輪(かじぐるわ)跡が県史跡に指定。一九九五年には後北条氏の勢力下を裏付ける堀障子が見つかっている。

◆旧岩槻市民の誇り
 現在、目に見える形で岩槻城の面影を残すものは、城址公園内に移設された「黒門」「裏門」など数えるほど。中には城があったことすら知らない市民も増えてきているという。地元・岩槻の歴史を三十年以上にわたり調査している同区東町の小宮正男さん(64)によると、岩槻城復元を願う声は一九八七年ごろ、当時の岩槻市民の間から持ち上がった。

 運動は二十年来、岩槻ライオンズクラブ内の委員会を中心に続けられてきた。「岩槻は(現在の埼玉県域の)中心地の一つとして栄えていた」という思いを残す人も多く、岩槻市がさいたま市に編入合併された一昨年には、「さいたま市のシンボルになる」として市長に復元を要望。築城五百五十年の今年、同じく市長に提出された署名には、岩槻区を中心にした法人や個人が名を連ねた。

 「二万六千人を超す署名は、それだけ市民に深い気持ちがあるということ。岩槻の歴史と文化を語り継がなければいけない」と小宮さん。岩槻城復元推進協議会の遠藤会長は「建設予定の人形会館を岩槻城にちなんだ外観にするなど、やり方はある」と実現可能な案を示す。

 旧岩槻市民が抱いている「岩槻城」という誇りをさいたま市に広げたい。復元の願いには、そんな郷土愛が込められている。
http://www.saitama-np.co.jp/news11/23/11x.html

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2007年11月20日

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安土桃山末期の強固な石垣 岡崎城(愛知)で発見、国内4番目の規模
中日新聞

徳川家康が誕生した愛知県岡崎市の岡崎城の「大林寺郭(くるわ)堀」跡で、安土桃山時代末期に築かれたとみられる二段になった防御用の強固な石垣が見つかった。関ケ原の戦い(一六〇〇年)以前の城郭では高さと長さでは類を見ない総石垣造りの上、石垣は天守から五百メートルも離れており、日本の城としては江戸城、豊臣政権下の大坂城、拡張を繰り返した幕末の姫路城に次いで四番目に巨大な城だったことが証明された。三日に現地を視察した城郭研究の第一人者である広島大大学院の三浦正幸教授(53)=文化財学=は「近年まれにみる大発見」と注視している。

 見つかったのは、岡崎市材木町のマンション建設予定地。民有地で、開発に伴い市教育委員会が今年二月の試掘で石垣を確認。九月下旬から本格的な発掘調査を進めている。

 石垣は地表のすぐ下で見つかり、全長約三十メートルに及ぶ。総堀の内側にあった外堀の「大林寺郭堀」で、上段と下段の間に幅一-二メートルの「犬走り」と呼ばれる通路がある。高さは約七メートルあり、自然石をそのまま積み上げる「野面(のづら)の乱積み」と呼ばれる築造方法だった。

 市教委は、石垣周辺で見つかった道の遺構などとともに石垣の埋蔵状況を写真撮影して記録。調査は今週半ばまでの予定のため、既に上段の石垣は長さの三分の二程度が解体されている。

 三浦教授によると、野面の乱積みによる犬走りの構造は、城造りのピークを迎えていた一六〇八(慶長十三)年以前の形式。当時の築造技術では高い石垣が造れず、築かれた場所は低湿地など地盤が軟弱な土地だったことから、犬走りを設けて二段にして補強した。「関ケ原以前の城郭では二の丸の外側にこのような石垣は造っておらず、大変貴重」という。

 この石垣は天下を取った豊臣秀吉の命で、一五九〇(天正十八)年に岡崎城主となった田中吉政(一五四八-一六〇九年)が築いたと推定。この年、関東に移封された家康のかつての本拠地で、豊臣政権が権勢を誇示し、政略、戦略的に重要な位置を占める狙いがあったのではないかという。

 岡崎市教委は江戸時代の城絵図や文献などから、この石垣は一六〇一(慶長六)年に岡崎城主となった本多康重(一五五四-一六一一年)が主君家康の命で整備した堀の一部とみていた。これまで岡崎城の外堀などの本格的な石垣は見つかっていない。

 三浦教授は「国や市の文化財指定も受けておらず、民間の開発を止める法律はない。解体されるのは大変惜しまれる」と話している。

 ■岡崎市教委文化財班の話 民有地なので現時点では保存は難しいと思う。中世城郭の専門の学芸員はいなく、専門家の判断を仰ぎたい。

 【岡崎城】1452(享徳元)年ごろ、三河守護代の西郷頼嗣(よりつぐ)が築城。1531(享禄4)年、徳川家康の祖父松平清康が城主となり、本格的な城郭を持つ城に改修。1542(天文11)年、家康が城内で誕生し、幼少期に人質として駿河で過ごした後、1570(元亀元)年まで岡崎城に居城、天下統一への基礎を固めた。江戸時代には「神君出生の城」として重要視されたが、明治維新後、城郭の大部分が取り壊された。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007110402061658.html


岡崎城 巨大規模だった 家康の生誕地 強固な二段式石垣発見
東京新聞

発見された安土桃山時代末期の岡崎城の中堀の2段の石垣(石垣と石垣の間は犬走りと呼ばれる)=愛知県岡崎市材木町で(写真解説文)

 徳川家康が誕生した愛知県岡崎市の岡崎城の「大林寺郭(くるわ)堀」跡で、安土桃山時代末期に築かれたとみられる2段になった防御用の強固な石垣が見つかった。関ケ原の戦い(1600年)以前の城郭では高さと長さで類を見ない総石垣造りの上、石垣は天守から500メートルも離れ、日本の城としては江戸城、大坂城、姫路城に次ぐ4番目に巨大な城だったことが証明された。3日に現地を視察した城郭研究の第一人者で広島大大学院の三浦正幸教授(53)=文化財学=は「近年まれにみる大発見」と注視している。

 見つかったのは、岡崎市材木町のマンション建設予定地。開発に伴い市教育委員会が試掘で石垣を確認し、九月下旬から本格調査を進めている。

 石垣は地表のすぐ下で見つかり、全長約三十メートル。総堀の内側にあった外堀の「大林寺郭堀」で、上段と下段の間に幅一-二メートルの「犬走り」と呼ばれる通路がある。高さは約七メートルあり、自然石をそのまま積み上げる「野面(のづら)の乱積み」と呼ばれる築造方法だった。

 三浦教授によると、野面の乱積みによる犬走りの構造は、城造りのピークを迎えていた一六〇八(慶長十三)年以前の形式。当時の築造技術では高い石垣が造れず、低湿地など地盤が軟弱な土地に犬走りを設け、二段にして補強した。「関ケ原以前の城郭では二の丸の外側にこのような石垣は造っておらず、大変貴重」という。

 この石垣は豊臣秀吉の命で、一五九〇(天正十八)年に岡崎城主となった田中吉政(一五四八-一六〇九年)が築いたと推定。この年、関東に移封された家康のかつての本拠地で、豊臣政権が権勢を誇示し、政略、戦略的に重要な位置を占める狙いがあったのではないかという。

 岡崎市教委は江戸時代の城絵図や文献などから、この石垣は一六〇一(慶長六)年に岡崎城主となった本多康重(一五五四-一六一一年)が主君家康の命で整備した堀の一部とみていた。これまで岡崎城の外堀など本格的な石垣は見つかっていない。

 三浦教授は「国や市の文化財指定も受けておらず、民間の開発を止める法律はない。解体されるのは大変惜しまれる」と話している。

保存は難しい
 岡崎市教委文化財班の話 民有地なので現時点では保存は難しいと思う。中世城郭を専門とする学芸員はおらず、専門家の判断を仰ぎたい。

<メモ>岡崎城 1452(享徳元)年ごろ、三河守護代の西郷頼嗣(よりつぐ)が築城。1531(享禄4)年、徳川家康の祖父松平清康が城主となり、本格的な城郭を持つ城に改修。42(天文11)年、家康が城内で誕生し、幼少期に人質として駿河で過ごした後、70(元亀元)年まで岡崎城に居城、天下統一への基礎を固めた。江戸時代は「神君出生の城」として重要視されたが、明治維新後、城郭の大部分が取り壊された。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007110502062051.html

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家康の生誕地に「しかみ像」 徳川宗家18代当主が岡崎市に寄贈
中日新聞

 徳川宗家18代当主で徳川記念財団理事長の徳川恒孝さんが、徳川家康の石像「しかみ像」を、家康の生誕地である岡崎市に贈った。石像が設置された同市康生町の岡崎公園竜の噴水広場で11日、徳川さんや柴田紘一市長らが出席して贈呈式と除幕式がある。

 石像は、高さ1・27メートルで、台座付き。家康の祖先・松平氏発祥の地である豊田市の松平郷、六所山から採掘された花沢小目石を使い、岡崎市梅園町の石工職人、小林道明さん(68)が1カ月半ほどかけて仕上げた。

 しかみ像は、元亀3(1572)年の三方ケ原の戦いで、武田信玄に冷静さを失って敗れた家康が、肝に銘ずるために自戒を込めて描かせた肖像画「徳川家康三方ケ原戦役画像」が基になっている。

 小林さんは、肖像画などを参考に、憔悴(しょうすい)し切った表情で、ほおづえをついて足を組む家康の姿を再現した。「顔の表情を出すのが難しかった」と話す。

 贈呈式には関係者約60人が参加予定。午後1時半からあり、連尺小学校の児童たちの「五万石太鼓」の演奏に次いで、徳川さんが柴田市長に目録を贈呈。除幕する。

 この後、徳川記念財団の主催で岡崎公園内の龍城神社で、徳川さんが「江戸の遺伝子」と題して講演する。定員150人。入場無料。
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20071107/CK2007110702062368.html

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2007年11月19日

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信長の合戦とは、登別の戦国史研究家が講演
室蘭民報ニュース

 第43回市民文化祭のぼりべつ2007参加の「郷土史の夕べ」が6日夜、登別市民会館で開かれ、約120人が織田信長が天下布武への道を切り開く端緒となった戦いの実相に耳を傾けた。

 登別郷土文化研究会と登別市立図書館の共催。市内美園町在住の戦国史研究家・谷口克広さんが「織田信長の合戦~桶狭間の戦い・長篠の戦いの真実~」と題して講演した。

 この中で、信長軍が奇跡的な勝利を収めたといわれる「桶狭間の戦い」では、通説だった「迂回(うかい)奇襲説」のほか、「正面攻撃説」「正面奇襲説」「乱取状態急襲説」について、根拠となっている史料を使いながら説明。「今川軍の前衛部隊が押し戻され苦戦していた。今川軍は構えていた山から下って、正面から攻め込んだ信長軍と戦ったのが真実ではないか。奇襲ではない」と述べた。

 鉄砲3000丁三段撃ち―が通説とされていた「長篠の戦い」に関しても、諸説に触れながら「現地で三段撃ちの実験が行われたが、否定された。鉄砲3000丁三段撃ちと武田騎馬軍はなかったのが現在の認識」と解説。「良い史料に戻って検証すれば分かる」との持論に、参加者らは興味深く聴き入っていた。
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2007/11/08/20071108m_05.html

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2007年11月15日

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釈由美子が時代劇初挑戦!戦国時代の「耐える女」を熱演
サンスポ.COM芸能

女優、釈由美子(29)が12月16日放送のテレビ朝日系スペシャルドラマ「敵は本能寺にあり」(後9・0)で時代劇に初挑戦することが12日、分かった。

 釈は歌舞伎俳優、市川染五郎(34)演じる主人公・明智左馬助の妻で、明智光秀(中村梅雀)の長女、綸(りん)役。織田信長(玉木宏)によって許嫁(いいなずけ)の左馬助との仲を引き裂かれながらも、長い歳月を経て夫婦の契りを交わすことになるが、その後残酷な運命が待ち受けるという役どころ。

 時代劇の現場が初めてだったこともあり、最初は緊張していた釈だが、いざ撮影が始まると堂々かつ自然な演技でスタッフをうならせたという。また、艶やかな着物姿でも魅了した。

 耐える女を熱演した釈は、「所作や間など、時代劇独特の緊張感や雰囲気を楽しむことができました。綸の役どころは気持ちを作りやすく、演じることにすごく燃えました」というほど役にのめり込んだ。

 夫役の染五郎も「時代劇が初めてとは思えない落ち着きがあった。着こなしや所作もでき、自分の世界を通して、役をきちんと消化されている雰囲気が素晴らしかった」と釈を絶賛している。

 運命に翻弄されながらも戦国時代を力強く生きた夫婦の絆を、釈と染五郎によってよみがえらせる。


★原作は小泉元首相の愛読書、共演に玉木宏ら

 「敵は-」の原作は加藤廣氏の小説「明智左馬助の恋」で、小泉純一郎元首相の愛読書として話題になった信長暗殺の謎に迫る歴史ミステリー「本能寺3部作」の完結編。昨年11月に放送された前編「信長の棺」は松本幸四郎(65)が主演しており、父から子へ主役の座がリレーされる。共演は信長役の玉木、光秀役の梅雀のほか、羽柴(豊臣)秀吉を竹中直人(51)、徳川家康を椎名桔平(43)が演じる。
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200711/gt2007111312.html

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2007年11月11日

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斬新! 「ヴォーグ」を意識した時代劇ポスター『茶々 天涯の貴妃』主題歌も決定
Yahoo!ニュース cinemacafe.net

戦国乱世の末期、数奇な運命に翻弄されながらも、天下を獲らんとする男たちの傍らで強く、凛々しく生きた女性・茶々。宝塚の元・トップスターの和央ようか主演で、彼女の生涯を描く『茶々 天涯の貴妃(おんな)』。12月22日(土)の公開に向けて着々と製作が進む本作のポスタービジュアルと主題歌が決定した。

ポスターは、本作で初の女性を演じる和央さんが劇中の茶々の衣裳に身を包みながらも、“時代劇”であることを一切感じさせないモード系のメーク。“凛としたたたずまいの強い女性”を表現した斬新なビジュアルになっている。ファッション誌「ヴォーグ」を意識して制作されており、同世代の女性たちの注目を集めそうだ。こちらのポスターは11月3日(土・祝)より全国の劇場などに貼り出される。

つい先日、茶々の運命を大きく左右する三人の天下人、信長、秀吉、家康を始めとする豪華共演陣が発表されるなど、徐々にその全貌が明らかになりつつある本作。物語はもちろんのこと、2000年から6年にわたって、宝塚の男役のトップスターとして活躍してきた和央ようかが、このポスターで表されるような、現代を生きる女性に通じる“強さを持った女らしさ”を表現していく姿も大きな魅力と言えそうだ。

また主題歌も、sowelu(ソエル)の歌う「光」に決定。TVドラマ「トップキャスター」の主題歌「I Wonder」や映画『幸せのちから』のイメージソングとして使用された「幸せのちから」など、数多くの楽曲を映像作品に提供してきたsoweluだが、彼女にとって実写映画の主題歌を担当するのは今回が初めて。乱世を生き抜いた茶々の強さに着想を得て、彼女自身が詞を書き下ろしている。この主題歌「光」は映画公開直前の12月19日(水)に発売される。

『茶々 天涯の貴妃(おんな)』は12月22日(土)より全国東映系にて公開。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071101-00000006-cine-movi

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「茶々」前売りバカ売れ…6日間で東映史上最高の興収
Yahoo!ニュース スポーツ報知

元宝塚トップスターの和央ようか(39)が主演する東映の正月映画「茶々-天涯の貴妃(おんな)-」(12月22日公開、橋本一監督)の前売り券が、3日の発売開始後、東京など主要5都市の8日までの6日間で、大ヒットした正月映画「男たちの大和/YAMATO」(05年)の136%と驚異的な売り上げを記録していることが9日、分かった。

 「男たち-」は同じく6日間、主要5都市で1466枚だったのに対し「茶々-」は1921枚を売り上げる好スタート。「男たち-」は東映史上最高の51・5億円を記録。「興収60億円以上を狙えるかも」と、ちょっと無謀な計算をする関係者まで出ている。

 和央は今年7月に宝塚を退団。最後の公演では約8000人のファンを劇場外の沿道に集めた。今回が女優デビュー作でもあり、前売り券の好調へとつながった。ただ、宝塚以外となると全国的な知名度はまだまだ。どこまで和央と作品を浸透させられるかは、宣伝の腕次第だ。

 「茶々-」は、井上靖氏の小説「淀どの日記」が原作。織田信長(松方弘樹)の姪として生まれ、後に豊臣秀吉(渡部篤郎)の側室となり、徳川家康(中村獅童)へと立ち向かった戦国時代を駆け抜けた悲劇の女性の人生を描く。伏見桃山城を約1億円かけて補修改装するなど、総製作費10億円を超える大作としても注目されている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071110-00000078-sph-ent

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2007年11月08日

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映画:「茶々―天涯の貴妃―」 東映京都撮影所で会見--来月22日から公開 /京都
Yahoo!ニュース 毎日新聞

豪華、打ち掛け姿を披露 元宝塚トップ・和央ようか映画初主演
 東映の正月時代劇映画「茶々―天涯の貴妃(おんな)―」で映画初主演となる元宝塚宙組トップスターの和央ようから出演陣と橋本一監督がこのほど、右京区の東映京都撮影所で会見。和央は豪華な打ち掛け和装姿を初披露した。【小川信、写真も】
 映画は井上靖の「淀どの日記」が原作。織田信長のめいとして生まれ、豊臣秀吉の側室となり、戦国時代にほんろうされながらも愛と誇りを貫いた女性が主人公。出演は他に渡部篤郎、寺島しのぶ、高島礼子ら。伏見区にある伏見桃山城を1億円かけて改修し“大阪城”として大阪夏の陣の場面を撮影するなど、制作費10億円の大作だ。
 会見で和央は「茶々は強さの裏に弱さを併せ持つ人間味のある人。見習いたいし、現代女性も共感が持てると思う」と語る一方、男役からの転身については「内またに慣れていないので、所作のけい古をした」と照れ笑い。自らの着物姿について「うれし恥ずかしびっくり。(武士役の男性を見て)あっちの方が慣れてるのにと思った」と笑いを誘った。
 京撮生え抜きの橋本監督は「茶々は強い女性なので、和央さんにはまっている。いい茶々になってきている実感がある」。秀吉役の渡部も「とても女性的。逆に引っ張られているぐらい」と、早くも“妻”に全幅の信頼を寄せる。
 一方、豊臣家に使える大蔵(おおくら)卿局(きょうのつぼね)役の高島は「確かに内またには気を使っている。でも、力が入る訳でもなく、マイペースだと感じた」と、新人離れした堂々とした演技に感心した様子。また、茶々の妹で徳川秀忠に嫁ぎ、大阪の陣では敵として相まみえる小督(おごう)を演じる寺島は「茶々は勇ましいが、心の中は意外ともろい。小督は表面的にソフトなだけに、中身はとてもしっかりしている。その対比が出せれば」と意気込みを語った。
 映画は12月22日から全国東映系で公開。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071101-00000295-mailo-l26

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2007年11月04日

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長慶ここに見参! 徳島市で「戦国三好旗揚げパレード」
徳島新聞

第二十二回国民文化祭・とくしま2007(おどる国文祭)八日目の三日、徳島市中心部で「戦国三好旗揚げパレード」が繰り広げられ、甲冑(かっちゅう)や陣がさ、陣羽織を身に着けた約二百人が東新町商店街などを練り歩き、古里の歴史を見直そうと訴えた。

 徳島ゆかりの戦国武将・三好長慶(一五二二-六四年)の再評価を目的にした県民企画事業の一環。県内のほか大阪、香川などから三好氏ゆかりの人たちが、武将名を記した旗が立ち並ぶ阿波おどり会館前に集結した。

 正午、陣太鼓が鳴り響き、パレード実行委事務局長の秋田忠昭さん(77)=徳島市八万町橋本=が「長慶が天下に君臨して四百五十年、ここに旗揚げパレードを挙行し、歴史の空白に挑戦する」と宣言。全員で「エイ、エイ、オー」と勝どきを上げて出発した。

 長慶らに扮(ふん)した二人が馬にまたがって先陣を切り、約百五十メートルにわたる行列はアーケード内へ。通行人らは突然現れた武者行列に驚いていた。

 約一時間後、行列は新町橋東公園に到着。舞踊家の故・桧瑛司さんの記録を基に作った「戦国三好節」を披露し、戦国時代絵巻を締めくくった。
http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2;=&NB;=CORENEWS&GI;=Kennai&G;=&ns;=news_119413913797&v;=&vm;=1

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風林火山ののろし再現=長野県中条村
時事通信

(長野県中条村からの情報)
 長野県中条村は11月4日にNHK大河ドラマ風林火山にちなんで、第1回信州虫倉祭りを開きます。午前10時と正午の2回、村北部の虫倉山(標高1378メートル)の尾根でのろしを上げるほか、白馬・長野道路沿いにある道の駅「中条」で、当時の戦時食を再現した「おやき」の販売や、真田勝ちどき太鼓、舞踏などのイベントを行います。
 戦国時代の中条村は武田勢の最前線であり、虫倉山に築かれた柏鉢城で上杉謙信の進攻を見張っていたと言われています。のろしは5分間隔で各3キロほど離れた地点で上げることになっており、天候が良ければ尾根伝いに次々とのろしが上がる戦国ムードを味わうことができます。のろしを合図に「道の駅」でイベントを始めます。当日のイベントは次の通りです。
1 虫倉山トレッキング
・午前7時30分、「道の駅」集合。虫倉山登山
・参加費無料。
・事前に中条村ふるさと振興係に申し込みが必要
2 午前の部(道の駅)
・語りべ「虫倉山姥物語」
3 午後の部(同)
・中条虫倉太鼓、真田勝ちどき太鼓
・舞踏、詩吟
・気球搭乗体験
4 申し込み・問い合わせ先 中条村企画財政係 TEL:026-268-3001
※詳細はURL参照
http://www.vill.nakajyo.nagano.jp/

http://www.jiji.com/jc/c?g=jfn_30&k;=2007110100935&j1;

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2007年11月01日

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大徳川展 強力な権力の結晶、一堂に
Yahoo!ニュース 産経新聞

 徳川家に伝わる宝物を集めた「大徳川展」が東京・上野の東京国立博物館平成館で始まった。徳川宗家だけではなく、家康の息子たちを始祖とする尾張、紀伊、水戸の御三家に伝わる武具、甲冑から茶道具、美術工芸品、日用品まで、国宝を含むさまざまな宝物300点余りが展示されている。

 260年以上も続いた史上最長の武家政権の権威の源泉は、長く続いた戦国の世に決着をつけた強力な武力だが、それを象徴するのが、甲冑、刀剣、馬印や旗、軍配などの武具だ。

 関ケ原の戦いの際に家康が着用した「歯朶具足(しだのぐそく)」のほか、家康が部将らに与えたと伝わる4領の「南蛮胴具足」など、各地の博物館や美術館、神社から集められた甲冑がそろう。南蛮胴具足のひとつには強度を試すために撃ったという、鉄砲の弾痕が生々しく残る。実戦で役に立たなければ価値がない戦国の厳しさ。その事実を泰平の世に生きる子孫らに伝える役割を担っていたのだろう。

 幕府の体制が整備される中で、家康が神格化されるとともに数多くの画像が描かれたが、圧巻は関ケ原の戦いの翌年に家康が自ら作らせた等身大の座像だ。門外不出の像として伝えられ、のちに芝東照宮の神体になった。強烈な意思を秘めた眼光の鋭さは、400年の時を経ても衰えず、あたりを威圧するかのようだ。

 織田信長、豊臣秀吉ら戦国の覇者たちの間を転々とした名品として名高い「初花」「新田」の茶入れ、切腹を命じられた千利休が自ら削り弟子に与えた「泪(なみだ)」の茶杓(ちゃしゃく)などの茶道具、「源氏物語絵巻」をはじめとする書画。過去に例のない規模の展覧会は、かつて強大な権力のもとに集められ、長い年月の間に全国に散らばった道具たちのいわば“同窓会”でもある。12月2日まで。(栫井千春)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071031-00000105-san-ent

⇒大徳川展

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2007年10月31日

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さすが殿様、優雅な暮らし 飛騨「江馬氏の館」公開
Yahoo!ニュース 中日新聞

【岐阜県】飛騨市が同市神岡町殿に復元整備した室町・戦国時代の豪族、江馬氏の館の一般公開が28日始まった。庭園や堀、木造建築を備えた「神岡の殿様」の暮らしぶりが再現され、市民ら約2500人が訪れた。

 館は14世紀末ごろの築造とされ、跡地の広さは約100メートル四方。水田になっていたが、「江馬の殿様の庭跡」という言い伝えがあり、1976年から旧神岡町教育委員会が調査して遺跡を確認。観光や住民の交流拠点にと、7年前から史跡公園として整備してきた。

 客人を接待したとみられる木造平屋の「会所建物」や、池や石を配した京風の庭園、V字形に掘られた薬研堀(やげんぼり)など当時の地方武家としては本格的な造りの館を復元した。

 船坂勝美市長らがテープカット。地元住民が浦安の舞など伝統芸能を演じる記念イベントもあった。見学した近くの主婦(65)は「庶民と違う優雅な暮らしぶりだったのが分かる」と話していた。

 入場料は200円(小中学生100円)。冬季(12月1日-翌年3月末ごろまで)は休館。問い合わせは市教委=電0578(82)2255=へ。(古池康司)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071029-00000014-cnc-l21

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特別展:京都の歴史、サムライを焦点に--京都国際マンガミュージアム /京都
Yahoo!ニュース 毎日新聞

中京区の京都国際マンガミュージアムで秋の特別展「マンガでよむ京都第1巻『サムライKYOTO~戦国から幕末へ~』」が開かれている。同館は9月末に入館者20万人を突破。今後はマンガを通じて京都の歴史に触れる特別展をシリーズで開催していく。
 宮本武蔵を主人公にした井上雄彦さんの「バガボンド」、宮下英樹さんの「センゴク」など、最近、サムライを主人公にしたマンガ作品が人気を集めている。特別展では、特に京都で活躍したサムライたちに焦点を当て、戦国時代から江戸時代末期を舞台にした作品を集めた。
 この時代は、講談や小説でも幾度となく取り上げられ、多くのヒーローを生み出してきた。今回は、人物の内面や歴史の因果関係がマンガ特有の手法で描かれるさまを、多くの作品を見比べながら楽しむことができる。
 サムライマンガの重要なテーマ、新選組にちなみ、霊山歴史館(東山区)から借りた本物の新選組の袖章も展示される。また「新選組」「京都見廻組」などの作品で知られるマンガ家、黒鉄ヒロシさんの原画・版画展も開かれている。11月11日(日)までの午前10時~午後8時。水曜休館。京都国際マンガミュージアム(075・254・7414)。【椋田佳代】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071031-00000179-mailo-l26

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あすから企画展「司馬遼太郎と城を歩く」
Yahoo!ニュース 産経新聞

城をこよなく愛した作家、司馬遼太郎にちなみ、城をテーマにした企画展「司馬遼太郎と城を歩く」が東大阪市下小阪の司馬遼太郎記念館の展示コーナーで、30日から催される。

 司馬氏は、著作エッセー「街道をゆく 大和壺坂みち」で「私は城が好きである。あまりに好きなせいか、どの城址(じょうし)に行ってもむしろ自分はこんなものは嫌いだといったような顔を心の中でしてしまうほどに好きである」とまで述べた。

 戦国時代や幕末に題材を求めた多くの著作を世に送り出してきた司馬氏の作品には数々の城が登場し、作品の舞台となった。今回は司馬作品のなかに取り上げられた城の写真をはじめ、大坂の陣を巡る人間ドラマを描いた名作「城塞」や徳川家康の生涯を描くとともに日本人の本質にまで迫った「覇王の家」などの自筆原稿など司馬氏と城に関する資料約40点を展示する。

 絵を描くことも好んだという司馬氏が西洋の城を描いた自筆色紙「ザヴィエル城秋風」は貴重な一品。また、司馬作品に登場する城や城にまつわる出来事を地図上に示したタペストリー(縦3.5メートル、横3.5メートル)は圧巻。

 その他、期間中には館内に「坂の上の雲」の舞台となった松山城や「峠」に登場する長岡城を描いたイラストなども随所に展示される。

 平成20年4月20日まで。問い合わせは同館((電)06・6726・3860)へ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071030-00000059-san-l27

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かんりにん一言

日本の歴史至上で最も熱かった時代、それは戦国時代。 でも、こんな時代が本当にあったのだろうか? これだけの資料があるのだから、戦国時代ってのは本当にあったんだろうなぁ。 未だに半信半疑な気分でのめり込んでいます。

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