2007年10月07日

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命運懸けた決断戦国の軍議再現 一関で唐梅館絵巻

戦国時代、豊臣秀吉の小田原攻めの際に開いた千葉一族の軍議を再現する第7回唐梅館(からうめだて)絵巻が30日、岩手県一関市東山町にある唐梅館総合公園で行われた。

 よろい姿の市民ら333人が中心街から同公園までを練り歩いた後、軍議を開催。重臣らの前で、総大将の千葉広胤(ひろたね)役の俳優、あおい輝彦さんが、秀吉軍へ参加しないという口上を大声で読み上げた。武者全員で気勢を上げると、観客から盛んな拍手が送られた。

 唐梅館は、葛西氏の重臣・千葉一族の居城で、1590年に豊臣秀吉が出した小田原参陣の命に対し、従うか否かをめぐって軍議を開いたとされる場所。従わなかった一族はその後、秀吉に滅ぼされた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071001-00000019-khk-l03

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2007年09月30日

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「風林火山」大河史上初の1話延長 - 49話から50話に

 内野聖陽(39)が主演しているNHK大河ドラマ「風林火山」が26日、東京・渋谷の同局でクランクアップした。

 内野は「一瞬一瞬真剣勝負でやってきた。いろいろ思い出したら自動的に涙が流れて…」とこらえきれず涙。共演者も駆けつけ抱き合って祝福。上杉謙信を演じたGackt(年齢非公表)は「山本勘助、見事じゃ」、武田信玄役の市川亀治郎(31)は「勘助、誠にあっぱれであった」、由布姫役の柴本幸(23)は「勘助、愛していました」と、それぞれ役になりきりねぎらった。

 同局は1話増やして全50話(最終回は12月16日放送)にすることを決定。「川中島の戦いのシーンで、謙信と信玄の一騎打ちなどたくさんの熱演シーンが撮れたため」としている。開始後に放送回数が増えるのは、大河史上46作目で初めて。

http://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/kfuln20070927006002.html

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2007年09月21日

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黒田如水(黒田孝高 よしたか)が築城した中津城が売りに出ていると言う。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2007/09/18/02.html

黒田孝高という男は終には天下人となった豊臣秀吉に仕え、その軍師として竹中半兵衛とともに秀吉の二兵衛[にひょうえ]と呼ばれ双璧をなした。
黒田孝高や黒田如水というより、通称の黒田官兵衛の方が有名かもしれませんね。

黒田官兵衛なくしては、秀吉の天下人達成はなかったと断言できるほどすばらしい働きをしています。

官兵衛が本領を発揮しだしたのは捕虜という苦境から助け出された時からでした。
荒木村重が信長に謀反を起して有岡城[伊丹城]に篭城した際、直談判をしに乗り込みましたが、
逆に捕らえられ、一年も狭い土牢に閉じ込められたのです。足が曲がってしまうほどの狭い土牢だったそうです。
実際その後は、歩行すら困難になりましたが、
武芸ではなく智謀・知略を必要とする軍師にとって、足の障害も致命的な痛手にはならなかったようです。
後に黒田官兵衛はキリシタンになりますが、この頃の辛い思いや、のちの梅毒への罹病が影響していたのかもしれません。

そしてこの時のエピソードは良く知られていますね。
官兵衛がなかなか戻ってこないので、信長は官兵衛が荒木村重側に寝返ったと思い、信長に(秀吉預かり)人質として入れられていた官兵衛・嫡男の松寿丸[長政]を処刑しようとしましたが、
病身の竹中半兵衛の機転(秀吉の了解の下、密かに信長の命に逆らい保護した)により、松寿丸の処刑は危うく免れています。本当に危ないところでした。
ここで松寿丸が殺されていたら、その後のしがらみで官兵衛の活躍も無かっただろうから、当然、秀吉の天下も無かったかもしれない。
後の関が原で一番武功を立てた黒田長政もいなかったのですから、家康の時代も来なかったかもしれません。
言い始めたらキリがありませんが、これが歴史の面白さです。
ちなみに竹中半兵衛は官兵衛が救出される半年前に、三木城攻めの本陣・平井山の陣中で病死しています。

その後は秀吉の軍師として、旭日天に昇る勢いの活躍を見せます。
因幡・鳥取城の兵糧攻め、備中・高松城の水攻め、賤ヶ岳の戦い[しずがたけのたたかい]、小牧・長久手の戦い[こまきながくてのたたかい]、四国平定、九州平定、小田原攻めなど、
秀吉の中国遠征以降、殆どの重要な合戦で各種名案を策し、展開していきます。

そして、この城・中津城の話に戻りますが、築城年は天正16年(1588年)です。

この頃の流れを見て見ましょう。
天正16年というと、いよいよ秀吉の天下取りも終盤戦に差し掛かってくる頃でした。
四国や九州の平定が終わり、
秀吉の命によりキリスト教を棄教し、
嫡男の黒田長政に家督を譲って隠居した頃です。
つまり、黒田孝高が如水軒と号し隠居した後に暮らした本拠地・城が中津城です。
隠居と言っても長政に家督を譲り、黒田如水となってからも秀吉に仕え、
小田原征伐や文禄・慶長の役の朝鮮出兵にも参加しています。
これでは隠居と言えませんね。
その朝鮮出兵の際に石田三成とごたごたがあり、黒田如水は引退し中津城に篭りました。
秀吉が死んだ後は京都に行き、伏見屋敷ですごしたりしていました。

そして、またもや戦場に呼ばれることになります。
慶長5年 1600年、ご存知の関が原の合戦が起こります。
九州に移動していた黒田如水は家康方の東軍につきました。
秀吉恩顧の黒田如水がなぜ東軍についたのでしょうか?
秀吉が死んだ後、黒田氏は急速に家康方に近づいていくこととなります。
さすが一流の軍師です、時代の流れにのる才にも長けていました。
決定的なのは嫡男の長政の正室が家康の養女だったことと、先に触れた石田三成との確執が家康方についた理由だと思われます。
如水は引退していたため常備軍が無く、1万の即席の軍勢を従えて九州の西軍・大友義統と戦い勝利を収め有終の美を飾っています。
農民をも含む即席軍を指揮し、勝利してしまうのがすごい。
一方、長政は関が原で一番武功を上げ、家康より筑前名島52万3000石を与えられています。

その後、黒田如水は中津城から福岡城に越して完全に引退し、長政は徳川幕府において初代福岡藩の藩主となります。

中津城はこういう時代と人物に使用された由緒・歴史のある城なのです。
その城がたった3億で売りに出されています。3億では安すぎる。
天守閣は鉄筋コンクリートに作りかえられているそうですが、そんなことはまったく気にしないでよいでしょう。
背景やストーリーが大事です。
戦国時代ファンとしては本当に欲しいと思ってしまいました。

3億じゃ絶対買えませんが笑

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2007年08月27日

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Gackt謙信出陣!白馬にまたがり軍勢447人鼓舞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070826-00000055-sph-ent

 歌手のGackt(年齢非公表)が25日、新潟・上越市の春日山で「第82回 謙信公祭」に参加した。NHK大河ドラマ「風林火山」(日曜・後8時)で演じている上杉謙信として、447人の武者を率い、武田信玄軍との川中島合戦へ出陣行列。ドラマでも着用したよろい姿で白馬にまたがり、「いざ出陣!」と軍を鼓舞するGackt謙信に、沿道に詰めかけた約5万人のファンが熱狂した。

 Gackt謙信が、ゆかりの地でついに“出陣”した。

 午後5時半。春日山交差点に集結した447人の軍勢の間を、甲冑(かっちゅう)姿で白馬にまたがったGacktがさっそうと駆け抜けた。刀を抜き、二重三重に膨れ上がった沿道の人垣を見渡すと「皆の者、我に続け! これより武田信玄を成敗しに参る」と絶叫した。

 「越後の龍」と呼ばれ、「我こそ毘沙門天なり!」のセリフで有名な謙信公。「龍」「毘」の旗を掲げた武者たちの「エイ、エイ、オー」の勝ちどきと、ファンの「Gacktかっこいい!」という黄色い声援が飛び交う中、Gacktは初のオリコンチャート1位を獲得したシングル「RETURNER~闇の終焉~」をバックに約900メートル、出陣行列を率いた。

 戦国さながらのリアルな川中島合戦再現で有名な「謙信公祭」は、今年で82回目。主催の上越市のラブコールを受け、大河ドラマで謙信を演じるGacktが参加。NHKの若泉久朗チーフ・プロデューサーが「馬に乗っているシーンを拝見して、謙信をやってほしいと思った」という巧みな騎乗ぶりと、ライバル武田軍の軍師で「風林火山」の主人公でもある山本勘助役の内野聖陽(38)が「なんて美しい」とため息をついたビジュアル系謙信を披露した。

 春日山城史跡広場では「2度の震災を乗り越えた上越に時を超えてやって来た。皆の者、勇気を出せ。我とともに立ち上がれ!」とあいさつし、かっさいを浴びたGackt。祭りは26日も行われるため、この日の観衆の人数は発表されなかったが、上越市などによると例年は2日間で約5万人。今回は25日だけで約5万人が集まり、関係者は「今年は間違いなく例年の倍は人がいる」。Gackt効果で約10万人が謙信生誕の地を訪れることになる。

 ◆「風林火山」川中島合戦収録済み 大河ドラマ「風林火山」のクライマックスとなる川中島合戦に向けて出陣したGackt謙信だが、川中島合戦シーンの収録は既に終えている。10日に行われたロケでは「見応えあるものになっていると思う」と自信を見せていた。ドラマは9月にクランクアップ予定で「まさにラストスパートです」とNHK関係者。Gacktはこの日も上越のファンに「みなさんの笑顔を見られてうれしかった。また『風林火山』で会いましょう」とメッセージを残した。

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謙信公祭:Gacktさん、カッコイイ /新潟
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070826-00000117-mailo-l15

戦国時代に活躍した越後の武将、上杉謙信の遺徳をたたえる「第82回謙信公祭」(同祭実行委員会主催)が25日から2日間の日程で上越市春日山地区で始まった。メーンの出陣行列にはタレントのGackt(ガクト)さんが謙信役として登場。沿道は野外ライブさながらの盛り上がりを見せた。
 出陣行列は上杉軍と甲斐・信濃の武将、武田信玄軍とにそれぞれ分かれ、川中島の合戦場に向かう様子を描いた。今回は447人と例年の倍以上の参加者があった。謙信役はこれまで、甲冑(かっちゅう)に白いずきん姿を踏襲してきたが、今回、GacktさんはNHK大河ドラマ「風林火山」の謙信の役柄に合わせ紺色の甲冑に長い髪をなびかせて登場。市民や観光客から「ガクトー」「カッコイイ」の歓声がやまなかった。
 居城だった春日山城跡を望む県道63号交差点では、剣を抜いて白馬を走らせる派手なパフォーマンスを披露=写真。観光客らも一緒に「エイエイオー」と勝ちどきの声を上げていた。

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かんりにん一言

日本の歴史至上で最も熱かった時代、それは戦国時代。 でも、こんな時代が本当にあったのだろうか? これだけの資料があるのだから、戦国時代ってのは本当にあったんだろうなぁ。 未だに半信半疑な気分でのめり込んでいます。

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