豊臣秀吉が野点楽しむ?宇治川太閤堤跡の庭園遺構から炉の跡 [豊臣秀吉]
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豊臣秀吉が野点楽しむ?宇治川太閤堤跡の庭園遺構から炉の跡
豊臣秀吉が築いた大堤防「宇治川太閤堤(たいこうづつみ)跡」(京都府宇治市菟道(とどう)丸山)で、石組みの小さな池など庭園とみられる遺構が出土し、宇治市歴史資料館が21日、発表した。
庭園は、伏見城築城直後の1594年(文禄3年)に築造が命じられた太閤堤と同時期につくられたとみられる。炉の跡も見つかり、同館は「天下統一の最中でも野点(のだて)をしていた秀吉らが茶の湯を楽しんだ可能性がある」としている。
昨年9月に発見された石積み護岸の南約40メートルの地下約1メートルから出土した。直径20~40センチの岩を円形に積んで囲った小池(直径1・9メートル、深さ20センチ)から、西側の宇治川に向かって、小石を敷き詰めた「州浜(すはま)」が広がっていた。小池の北西には70センチ四方の石組みがあり、中が焦げていたことから炉の跡とみられるという。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080821-OYT1T00817.htm
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