2007年12月14日

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JR東海のCM そうだ京都行こう 龍安寺 石庭 編

かなり有名ですので禅寺 龍安寺の石庭はご存知だと思います。
ですが、誰が創建したかはあまり知られていません。
実は戦国時代の切欠ともされる応仁の乱[応仁元年 1467年~]の東軍総大将 室町幕府 管領 細川勝元が宝徳2年[1450年]に創建しました。
この龍安寺は応仁の乱で焼け落ち、現在の龍安寺は長享2年[1488年]に勝元の子の細川政元と、
4世住持 特芳禅傑によって再建されたものです。

龍安寺の石庭は幅25メートル、奥行10メートルほどの白砂が敷き詰められた庭で、
15個の石が5か所に点在されていて、どこから見ても15個の石のうちのどれかは他の石に重なって見えなくなるという。
ただし、建物の中から見ると一箇所だけすべての石が見える場所があるなど謎が仕組まれていて、
その他にも面白い謎がいろいろあるという説が唱えられている。
まさに石と砂でできたクイズですね。しかも何百年も正解が出ないクイズです。

詳しく知りたい人はその手の本が売られているので読んでみてください。

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⇒参考 : 戦国時代の本 ⇒戦国時代掲示板


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かんりにん一言

日本の歴史至上で最も熱かった時代、それは戦国時代。 でも、こんな時代が本当にあったのだろうか? これだけの資料があるのだから、戦国時代ってのは本当にあったんだろうなぁ。 未だに半信半疑な気分でのめり込んでいます。

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