2007年12月20日

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利家とまつ 加賀百万石物語
鬼の淀どの[茶々]

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2007年12月14日

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タイムスリップ戦国時代
ラジオドラマ タイムスリップシリーズ 青春アドベンチャー
何ですかこれはw

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キテレツ大百科 24回払い?戦国時代のコンテスト

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戦国BASARA2 長曾我部元親ストーリーモード

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武田信玄公のうた
増田ジゴロウ
白井ヴィンセント

一番下が増田ジゴロウ アイドルマスターバージョン

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上杉謙信の武田信玄が倒せない(エアーマンが倒せない替え歌)
何回やっても、
何回やっても、
何回やっても、
何回やっても、
武田信玄が倒せない。

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NHK大河ドラマ 風林火山 クランクアップ[撮影終了]

山本勘助 : 内野聖陽
武田信玄 : 市川亀次郎
上杉謙信 : Gackt
撮影を終えてのコメントあり

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JR東海のCM そうだ京都行こう 龍安寺 石庭 編

かなり有名ですので禅寺 龍安寺の石庭はご存知だと思います。
ですが、誰が創建したかはあまり知られていません。
実は戦国時代の切欠ともされる応仁の乱[応仁元年 1467年~]の東軍総大将 室町幕府 管領 細川勝元が宝徳2年[1450年]に創建しました。
この龍安寺は応仁の乱で焼け落ち、現在の龍安寺は長享2年[1488年]に勝元の子の細川政元と、
4世住持 特芳禅傑によって再建されたものです。

龍安寺の石庭は幅25メートル、奥行10メートルほどの白砂が敷き詰められた庭で、
15個の石が5か所に点在されていて、どこから見ても15個の石のうちのどれかは他の石に重なって見えなくなるという。
ただし、建物の中から見ると一箇所だけすべての石が見える場所があるなど謎が仕組まれていて、
その他にも面白い謎がいろいろあるという説が唱えられている。
まさに石と砂でできたクイズですね。しかも何百年も正解が出ないクイズです。

詳しく知りたい人はその手の本が売られているので読んでみてください。

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動画内コメントより
織田有楽斎[1547年-1621年]は信長の実弟で茶の湯の創生期に尾張が生んだ大茶匠である。
その波乱に富んだ人生の晩年、有楽は武家を棄て京都建仁寺の正伝院に隠棲した。
如庵はその境内に元和4年[1618年]ころ建てた茶室であり、
現存する国宝茶席三名席の一つとして茶道史上貴重な遺構である。
また隣接する旧正伝院は重要文化財に指定されている。
遺構は各地を転々としたが、安住の地を犬山に得て「有楽苑」として公開されている。

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元和2年[1616年] 駿河国 駿府城、
徳川家康が75才でその生涯を終える時、
「わしの遺体は直ちに久能山に葬り、葬儀は芝の増上寺で、位牌は故郷の大樹寺に置き、1年が経ったら下野国日光に勘請せよ[かんじょう:神として迎える]」と言った。
その遺言どおり翌年の元和3年3月に日光東照宮が落成し家康は八州を鎮守する神となった。

そして二十年後、家康の孫の第3代将軍 徳川家光は費用お構い無しとして日光東照宮の大改築の命を出した。
これを寛永の大造替[かんえいのだいぞうたい]という。
費用お構い無しという結果、総予算は金56万8千両、銀百貫目、米千石、現在のお金に換算すると10数兆円という莫大な資金が投入されたことになる。
藤堂高虎の推薦にて、当時 天才という名を欲しいままにした甲良宗広[こうらむねひろ]を大棟梁として、
豊臣秀吉の大坂城を築城した大工の名工たちを京都奈良から集め、1年5ヶ月という驚くべき短期間で大改築が完了した。
寛永の大造替に関わった人数は述べ460万人弱だと推定されている。
その結果、極彩色に彩られた極楽浄土を思い浮かべるような社殿をはじめとする、贅を尽くした絢爛豪華な陽明門などの建築物の数々が完成した。

なぜ、家光はこのような莫大な予算をかけて日光東照宮を大改築したのだろうか?
それは三代目にもかかわらず家光は自身を「二世権現」や「二世将軍」とし
父親の秀忠を差し置いて二代目だと言っている事から分かるように、両親を憎んでいたらしい。
両親は家光が幼い頃、家光は醜いとして弟の忠長ばかり偏愛したからだ。
だからこそ祖父への強烈な思慕の念が湧いたのかもしれない。
家光が幼い頃に病気に罹った際、家康の調薬により回復したり、
家康の命日と家光の生誕日が17日と同じ事なども、家光をして「東照大権現、心も体も一つ成」と言わしめた所以であろう。
極め付けが、世継ぎ問題である。
秀忠が家光の世継ぎに難色を示し、弟の忠長を推したが、家康の鶴の一声があり家光が3代将軍になったのだともいう。

よって、家光は祖父の家康を崇敬し、神として崇め、
家康の奉られている日光東照宮を家光自身と徳川幕府の精神的拠り所となる聖地として大改築したのだった。

日光東照宮
徳川家康
此処に眠る

日光東照宮は平成11年[1999年]に世界遺産に登録されています。
日光東照宮 公式サイト

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2007年12月12日

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真田太平記
豊臣秀吉死す

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2007年12月11日

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ブーンで学ぶ日本史 室町時代~戦国時代~江戸
一気に学べる歴史シリーズ

2ちゃんねらーには取っ付き易いかもしれません。

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2007年12月09日

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日本の歴史
織田信長 最後の日 本能寺の変
この動画は信長と日海が碁を打ちながら信長の人生を振り返るような設定になっていますが、

より広く伝わっている史実は次のとおりです。

本能寺の変の前夜 天正10年[1582年] 6月1日
信長の御前で碁の対局が行われました。
碁を打ったのは信長から「名人」の称号をいただいた
日海[初代 本因坊算砂]とその挑戦者「利玄」
双方ともに僧職です。

勝負も終盤に差し掛かると、
「三劫 さんこう」と言う本当に珍しい形になりました。
碁をやったことが無いので分かりませんが、確率の話として何万分の一とか本当に珍しい事で、
この三劫の形になると無勝負、つまり引き分けになるそうです。
三劫は古より不吉なことがおきる前兆とされました。

実際にこの三劫が起きると二人の僧達は早々に勝負を切り上げ
本能寺から逃げるように帰って行ったそうです。
そして、その明け方 明智光秀が信長を討ちます。

これが一番広く伝わっている話ではないでしょうか?

ところが、この勝負の棋譜が128手まで残っており[日本最古の棋譜だそうです。]
それを検証すると、この勝負どう展開しても三劫にはならないようなのです。

ですから、三劫の話は後世の作り話なのかもしれません。
碁の勝負で三劫の形になり、本能寺の変が起きた。
こうなれば話としては最高に面白いですからね。

いやはや、本能寺の変は本当に謎だらけです。

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2007年12月08日

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徳川家康:森繁久彌
石田三成:加藤剛
島左近:三船敏郎
本多正信:三国連太郎
初芽:松坂慶子
丹羽長重:矢崎滋
北政所:杉村春子
鳥居元忠:芦田伸介
大谷刑部:高橋幸治

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2007年12月07日

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利家とまつ 加賀百万石物語 本能寺の変

織田信長 反町隆史
明智光秀 萩原健一

前田利家 唐沢寿明
まつ 松嶋菜々子

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かんりにん一言

日本の歴史至上で最も熱かった時代、それは戦国時代。 でも、こんな時代が本当にあったのだろうか? これだけの資料があるのだから、戦国時代ってのは本当にあったんだろうなぁ。 未だに半信半疑な気分でのめり込んでいます。

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