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時が・・・
すべてを飲み喰らい、蹂躙する怒涛となって
時代が・・・
押し寄せる
綺羅のごとき将星、雲のごとき軍勢
この鳥なき島の蝙蝠にはもったいない舞台
上等 ! ベ~ン!!
時代に喰らわれ、影すら失くそうとも
凄絶に記憶させてやる・・・我等の存在を
戦国無双 長宗我部元親オープニング
信長の後継者争いの第一幕である賤ヶ岳の戦い[天正11年 1583年]で四国の戦国大名 長宗我部元親は雑賀衆、根来衆の紀州勢と組み、柴田勝家と信長の三男・織田信孝を支援して豊臣秀吉と敵対した。
さらに翌年の天正12年[1584年]の小牧・長久手の戦いでは信長の次男・織田信雄[のぶかつ]と徳川家康らを支援し秀吉を背後から脅かした。
そして天正13年[1585年] 長宗我部元親は伊予国の河野氏・西園寺氏などを攻略して、終に四国制覇を達成することになる。
しかしそれも束の間、同年、秀吉に12万5千とも言われる大軍を送り込まれた。
屈強な一領具足を率いる元親は大群を相手によく戦ったが、秀吉に敗北を喫し、最終的に太平洋側の土佐一国を安堵された。
因みに、この動画のように秀吉自身が乗り込んだのではなく、弟の羽柴秀長[豊臣秀長]が総大将となって長宗我部元親を攻めた。秀吉は病で四国出陣を断念している。
ゲームだから仕方がないが、よって、この絵図らはありえないことになる。
緒戦、秀長の軍は長宗我部元親にてこずり、秀吉自身が出陣しようとしたが、
病と家康などの敵を背後に抱えたまま四国に渡るのは危険だと秀長に止められている。
戦国BASARA2 長宗我部元親
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